工学と理学

制御理論の入門書を眺めていたのだけど、扱う問題を限定・パターン化して、何度もそれを練習をさせるという作業が非常に多い。「この類の本ってバカのひとつ覚えを身につけさせることだしね」、という月並みな反応を示してみたのだけど、それよりマシな考えが浮かんだ。

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dvipsの設定

  • /share/texmf/dvips/config/config.ps を少しいじってデフォルトの用紙サイズを変更。(letterサイズはコメントアウトして用意されてる。)または、オプションで -t letter みたいに付けるとか。これを忘れてズレること多々。
  • 実行時オプション -zをつけることでdviでのハイパーリンク設定を保持
  • 実行時に -Ppdf オプションを付けることで、Type1フォントを埋め込んでくれるらしい。とりあえず付けとけってカンジか。

(追記) こんな小手先のTIPSよりも、TeX Wikiを読んだ方がよさそう。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/texwiki/?dvips
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/texwiki/?cmd=read&page=PDF%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E6%96%B9#content_1_7

反証可能性?

はてなのキーワードにもあるように、疑似科学反証可能性が欠けているってのが定番のラベルだよね。

魔女裁判で、
「魔女か?」⇒「拷問にかけよ」⇒
 (拷問の末、魔女と認めた場合)⇒「魔女である」
 (拷問に耐えきって、認めない場合)⇒「普通の人間にできることではない。魔女である。」

というような、論理形式は反証不可能だ。(もちろん、この論理と各文章を受けいれたら、という条件付きで。)

でも一般的には反証ってカンタンじゃない。物理実験においても、反証した/確認した後に、ありゃ違ったらしい、とひっくり返ることも普通にある。今思いつくものでは、ヘルツによる陰極線の実験とか。(追記:間違ってた反証可能性って、そもそもこの「反証/確認」のギロンのできる余地のことを言ってるわけで、ヘルツの例はそれをしっかりと満たしているって気づきました。勢いで書いてしまうのはヨクナイね。)

まそれはあっちへ置いておいて。ちょっとギモン。

たとえばさ、「心霊写真を科学的に分析する」っていう行為。これは、このアプローチをとった時点で、いわゆる「おばけ」っていう存在を、魔女裁判的に抹消して、物質およびその相互作用という落としどころに持っていくことを意味する。これってオバケの不在ということは、反証不可能なかんじなんだけど。「正しい」のかな?

・・・科学哲学系の本をちゃんと読んでみようっと。

疑似科学、そして科学

疑似科学・トンデモ批判は楽しい。スカラー波がどうこうといっている変なひとを見つけては、みんなでバカにできる。みのもんた的語り口のエセ科学商売を見つけて憤慨してみたりもできる。*1

なぜ疑似科学なる理論・思考は批判されるのか。それは科学的方法・検証が欠けているのに、科学を装っているからだ。じゃあどうしてそれが悪いのか、またどうして彼らは科学を装うのか。

それは、科学(または科学的方法)が「正しい」から、なのかもしれない。だから、そこから外れた(よって「間違っている」?)ものに科学を名乗って欲しくはないし、また科学的という看板のもとには、人々はみな無条件に受けいれるから、それを騙ろうとする輩も出てくる、と。

……でもさ、ホントウに科学(的方法)って正しいの?

*1:うちの近所でも「πウォーター」なるものが大手を振って商売していたりする。水を「パイ化」してるんだってさ。(にっこり)

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で、

せっかくの週末を取り戻そうと、『STAR EGG 星の玉子さま』を買いにおでかけ。
・・・無かった orz。
でもって、「誰かが注文しないと一生入荷しない」って店員に断言されたので、注文してきた。

この本は、「少しでも沢山の人に読んでもらいたい」と森博嗣が初めて考えた作品です。この気持ちを示すため、著者印税をゼロにしてもらい、結果的に価格も下がりました。…
森博嗣の浮遊工作室より)

というシロモノらしい。「買いたいヤツだけ買えばいい(別にオススメしない)」だとか、「お金儲けのために本を書いています」だとか言い切ってきた著者なのに。うーん興味津々。早く来ないかなあ。

やっとこさ

ここんところ取り組んでた、LaTeXの卒論フォーマットクラス(某大学限定)がやっと、それなりにできあがった。わーい。
LaTeXってクラスファイルがあればラクで良いんだけど、既存のクラスのフォーマットから外れたことをしようとするとメチャメチャたいへんなんだよね。まあこれで、これから卒論を書く人たちが楽できるようになるといいんだけど。
つーかさ、論文のフォーマットをチェックするためだけに、何人もの職員がうちの大学に雇われてたりするんだよ。みんな定規を片手に持ってさ、日々重箱の底をつついてるわけ。フォーマットをそこまで固定することも、そしてそれに従わせるために人を雇うという方法も、ぼくは気に入らない。そうした慣習を打ち破るきっかけになってくれないかなあ、こいつ。