工学と理学

制御理論の入門書を眺めていたのだけど、扱う問題を限定・パターン化して、何度もそれを練習をさせるという作業が非常に多い。「この類の本ってバカのひとつ覚えを身につけさせることだしね」、という月並みな反応を示してみたのだけど、それよりマシな考えが浮かんだ。
実はエンジニアって、理論屋とはちがって、対象が本質的にブラックボックスだということを識っているからなんじゃないか。だから詳細なモデル化に走らずに、インプット/アウトプットという概念を主体にする。そして、電気回路や、シンプルな力学モデルなんかの、挙動のよく分かっている対象には理論的に習熟しようとするけれども、未知の対象に関しては、あまり積極的に理論化を試みない。さらには、精密な予測よりも、フィードバックをかけて対応する方法をとる。

こう考えると、学部時代に工学の授業で感じていた違和感が氷解する。たとえば、ジェットエンジンの授業では、タービンの力学理論を詳細に作るというより、無次元化して相似な対象の挙動について調べるといった風だった。既存の経験的知識をベースに、理論を使うことで何が言えるか、という姿勢である。当時のぼくは、「そんなことをしてちゃ、ホントウに新しいものを創り出せないじゃないか!」と憤慨していたのだけれども。エンジニアは、理論だけは何もできないと考えて/識っているんじゃないか。

純粋に(理論)物理でジェットエンジンを捉えれば、ジェットエンジンラグランジアンなりを書き下して終わり、ということになる。(そしてその後に、「激しく複雑になるから手に負えないんだけど」、という言が続くことだろう。)当時のぼくは、そのラグランジアンから、与えられた条件に対してタービン翼の最適形状なりを理論的に導き出してみる、というようなことを期待していたのかもしれない。でも、どこの世界にラグランジアンを書き下してから設計に取りかかるエンジニアがいるだろうか。

まとにかく、この辺の認識の違いが、理学と工学の違いなんじゃなかろうか。