π、実在、そして祝電

πや√2などの、いわゆる「無理数」は果たして数なのか、はたまた、そんなもの存在するのか、についてずっと悩んでいる。

虚数i なんかは、別に許せる。だって複素数ってのは、とどのつまり、2つの数のセット(実数・虚数)で、数を扱ってみましょう、っていうことだから。整数しかなかった世界に、分数を導入してみるのとおなじことだ。

だけど、無理数は違う。たとえば√2は、2乗の逆(平方根)を全ての数に対して適用したい、っていう動機から持ちだされてきたものだ。で、分数では表現できないって、背理法から決まってしまった。だから仕方なしに、√2=1.41421356…とか書かれたりするし、どこまで数を続けても、√2にはならない、なんて言われる。

どこまで続けてもたどり着けないのに、どこに√2ってのがあるわけ?直角二等辺三角形を描いてみても、√2は出てこない。じゃあ、いったいどこにあるのか。

実は、頭の中にしかないじゃないのか。いいかえるなら、『実在』の世界にしかないんじゃないか。*1

ってことで、なんか無理数って、この詩と同じ構造を持ってるんだよな。

やまのあなたのそらとおく
「さいわい」すむとひとのいう。
ああ、われひとととめゆきて、
なみださしぐみ、かえりきぬ。
やまのあなたのそらとおく
「さいわい」すむとひとのいう

この詩の解釈として、よく、「幸せは、気が付かないだけで近くにあるんですよ〜」なんてことが語られたりする。無理数においても、「πって数は、数直線上でも数字列でも表すことはできないけれど、『そこ』にあるんですよ〜」って言われてる気がする。で、どこやねんっ、って突っ込みたくなるわけ。

そんな微妙な意味合いのうえで、ぼくはT君の結婚式の祝電に

Love is like π, it's mysterious, irrational, and very important.

なんて送ったのでした。「ボクハ ソノ ソンザイヲ シンジラレナイ」っていうニュアンス、伝わった人いなかっただろうなあ・・・。

*1:もちろん、『3』ってのがどこにあるのか?っていう議論によって、全ての数は概念にすぎない、って言ってしまえるけど、これは別のレベルの話ってことで。